2012-03-16(Fri)
何かを所有するというのはどういったことか。
人間社会の約束事でしかない。
他の生き物からみたら私が所有していることなどお構いなしだろう。
ハエは私の持つ食物に遠慮せずに食いつくだろう。
約束事など幻想である。
何も所有できない。
何も得ることはできない。
裸で生まれて裸で死ぬ。
これでいいのだと思う。
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2012-03-16(Fri)
本を読むということはある種の対話である。
対話であるのだから自分も意見を発しないと対話にはならない。
相手の話の要点をつかんで自分の考えを展開する。
ただ読むだけだと案外何も吸収していないことに後から気付く。
本の向こうには人間がいる。
脳があり、身体があり、歴史があり、自我があり、人間関係がある。
その膨大な情報の体系と存分に絡み合うのが読む楽しみである。
書くことによって認識が深まっていく。
アウトプットする読書は楽しい。
2012-03-16(Fri)
私が空いた時間にする一番好きなことは、自然の中で気持ちを落ち着けることである。
落ち着いた状態が自分のなかで心地いい。
歩くことも、座ることも、思索することも、作業することも、書くことも、
全ての行為が深みに入っていく。
深海の中に静かに潜っていくような気持ちである。
力まず、焦らず。
すーっと深いところへ入る。
静寂を楽しむ。
最高の快楽である。
2012-03-16(Fri)
私が家でコーヒーを飲んでいたら2歳になる子供が言った。
「大きくなったら○○もコーヒー飲むー」
コーヒーを飲むこと自体どうでもいいのだが、これは大人へ成長することへの一つの小さな希望なのだろう。憧れなのだろう。
2歳の子供は今のところ大人に成長したいと思ってくれている。赤ん坊扱いすると怒り出す。
大きくなったら何々したいとよく言う。
成長の時期であり、自分も成長したいと思っている。
今のところはそうだが、思春期にはどう思うだろうか?
大人になったときにはどう思うだろうか?
少なくとも私は小学校高学年から20代まで、あまり大人になって社会に出たいと思わなかった。
将来を想うと暗雲たる気持ちになった。
将来に希望を見出せなかった。
中学の頃に同級生に「大人になる前に自殺したいか?」と聞くと大半が「そうだ」と答えた。
大人になり、社会に出て、会社に勤め、嫌なことをやらされ、楽しいことはなく、宴会芸などをやらされる、そんなことをぼんやり考えていた。
仕事とは何をやるのかさっぱり理解できなかった。
いかにして利益が生まれるか分からなかった。
希望のない社会である。
成長しても楽しくない。成長したいと思わない。
若者がそんな風に考える社会はどこかがおかしい。
少なくともこれからの子供達には成長することや未来に対して希望を持ってほしい。
子供が大人になることに対して憧れをもてるようになってほしい。
大人になりたくない主な理由は仕事であった。
何をするのか分からない会社に勤めて、自由に遊べない状況が嫌だったのだろう。
それならば、将来取り組むであろう仕事が希望になればいい。
若い時期には華やかな業界に憧れることも多いだろうが、それだけでない他の業種にも希望があるのだと知ってもらえればいい。
他人の役にたって対価としてお金を貰う。そのお金で生活をし、家族を養い、楽しみ、資産を築く。
社会に価値を提供して他人の役に立つことは自分にとっても嬉しいことなんだと分かってもらえるのが重要だろう。
子供の頃から触れるメディアがそれを教えてくれればいいのだが期待はできない。
重要なことは他人任せではいけない。
自分で自分の子にはそのような価値観を教育することが必要である。
そして社会全体に対しては情報を発信して大人になることへの希望を持てるような価値観を知って貰えればこの上ない。
仕事をして人の役にたってお金を儲けるのは楽しいことなんだと。
金稼ぎは卑しいという価値観も無い方がいい。
価格よりも大きく価値を提供すれば全く問題はないのだ。
そして儲けた金で魅力的な何かを成せるように希望を定めて欲しいと思う。
希望のある社会が健全な社会なのだと思う。
2012-03-16(Fri)
何を目的にするか。
金そのものを目的としてもすぐに飽きてしまうだろう。
金そのものに魅力があるわけではない。
拝金主義者として過ごすには生涯は短い。
生きるのに金は必要だが、金を稼いでなにをやりたいかが重要である。
金を最終目的にするのでなく、目標に向かう過程で必要な金を得られるのがいい。
目標設定は自分が魅力的だと思う目標でないといい人生にはなりえない。
何が魅力的な目標か?
利他的な目標をたてようと思う。
利己的な目標に向かうのか、利他的な目標に向かうのかで意識の次元が変わってくるような気がしてならない。
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